鋭い切れ味コラム「日本が負ける理由」

 第二次大戦日本がなぜ負けたのか?いろいろ言われているが私は「総合力」がなかったからだと考えている。
 アメリカ対日本と見た時、その思想の違いをよく感じる点がある。
 例えば、第二次大戦中アメリカと日本は戦争して情報戦で負けたという話がある。真珠湾にしてもミッドウェー海戦などの場面で日本は暗号が解読されていて情報がアメリカに筒抜けだったらしいということだ。技術力という点において日本も後発ながら引けを取らぬ点はあった。もちろん暗号機という機械のメカニズムについてもドイツやアメリカと並んでトップクラスにあった。だが、日本の暗号は見破られていた。なぜか?
 アメリカは歴史を見てどの場面でも一貫して言えるのは「細部を集めて分析しそれを上回ったものを作り出す」ということである。これは学術研究から軍事作戦、企業経営、その他社会システムなどどれをとっても浸透したポリシーのようである。アメリカ人は個人的には日本人より能力が低いと思う。だが、アメリカ人はまず「低い能力の人をどのようにうまく利用するか」という観点で企業を経営している。マクドナルドやその他アメリカ企業の経営にはマニュアルが活用されるがそれはその観点から発達した成果である。
 アメリカ軍は日本軍から捕獲した各種兵器を何百人という人手を使ってネジの一本まで分解し整理分類して解析し再び動かせるように組み立て直した上で、そこから得られたノウハウによってさらに良いものを作り上げたのだ。当然日本軍の誇る暗号機も分析されまったく同じ機械を複製しそれを用いて日本軍の暗号を手に取るように知っていたのである。例えばNASAのスペースシャトルの開発とかを見ていてもものすごい人員を投入して作り上げるのである。今の日本のロケットが頭脳を集積した割合に飛ばないのと対照的だ。
 もちろん、アメリカは日本を第二次大戦で負かして731部隊の細菌兵器のノウハウを持ちかえり悪用もしている。大陸間弾道弾の技術も原子爆弾の開発技術もドイツから持っていった。
 さて、暗号の話だが日本が負けたのは機械の技術ではなかった。暗号機が解読されても暗号表を変えればまだ逃げられた。ところが、大本営は当時としては常識だった暗号表を定期的に変更するという運用をサボッたのである。同じ暗号表で暗号を発信続けた。これがアメリカ軍の解析の手伝いを進めた。せっかくの高性能暗号機も性能を発揮できなかったのである。当時日本の技術者だった人が回想していたが「優秀な暗号機だけではだめだ、それを運用してバックアップする組織と人とシステムが日本にはなかった……。」ともらしていた。
 アメリカは軍事力を行使するのに学術、企業、教育、支援・補給、軍隊、政治、情報とあらゆる部門を総合的にまとめて作戦を実行している。多くのスタッフを使用する。だが日本はすべてがバラバラで底が浅いと思う。第二次大戦においても陸軍、海軍で研究所も違うし大学などの研究機関も別扱いでてんでバラバラに開発したりしたので先端にいる研究者と軍人の意志の疎通がなかったに等しかった。おまけに援護や補給という考えも欠如していたからその部隊も力不足で前線でガス欠にならざるを得なかった。挙げ句の果てに「神風特攻」「竹槍」で根性論で戦争を遂行する有り様であった。神懸かりに頼るのだから知性も技術もあったものではない。
 残念ながら現在もこの体系は「守られて」しまっているのである。縦割り行政はもちろん、企業も、学校も「根性論」であるし、上層部はその程度の考えしかできない長老によって牛耳られている。従って日本の大学には財務を補うシステムの発想もないし、できないからハーバード大学が財務部門を用いて学校や研究運営費を捻出していることさえ理解できない。ひたすら国の補助金をねだるだけである。
 かつて東北大学で光ファイバーを開発した西澤教授は自伝的著書の中で、戦後まもないころアメリカの運営する図書館にノートを持っていって何日も通って論文や文献を手書きで書き写したという苦心談を書いていた。アメリカなら秘書やアルバイトを使ってあっというまに写させたかもしれない。挙げ句の果てに世界的な特許の光通信技術を開発しても日本の産業界は見向きもせずアメリカで評価される有り様である。
 今やアメリカではパソコンを使用したビジネスプロセス自体が常識であるのに日本ではいまだにビジネスマンがパソコン音痴を嘆いている状態だ。
 かつて某アメリカメーカーに勤めていた日本人のエンジニアの人が「会社ではすべての情報を手書きでも原稿でも送っておけばきれいに清書して整理して管理してくれる部門があって助かったよ。」と話していた。アメリカの大学では秘書が有能で研究者の頭の整理を一緒に行う手伝いをしてくれるのである。日本の大学はまだまだそこまで行っていないようだ。
 個々の技術や知識はすごいがそれを「総合」するという働きが日本には欠けている。政治、行政、防衛、教育、経営などほとんどの分野に言えている課題である。これを解決しない限り日本はこれからも「負ける」だろう。もちろん総合的になるためには知識よりも教養が必要だ。その点で日本の政治家や役人が総合的になれないのは「知識」ばっかりで「教養」が欠如しているからではないだろうか。

内海新聞(1998/5/12 No.40)より
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